〜10周年記念事業〜

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「お便りコーナー」 開設のお知らせ

 どもDynaです。

 当HPを開設して、早くも10年が経ちました。この間、沢山の方々から多くの

情報をいただき、ここまで長くやってこれました。これも、皆様方のおかげだと

思っています。特に、当HPの基本となるテーマ「ジャンク」に対する有用な情報

については、本当に沢山いただき、楽しい日々を過ごせたと思っています。 しかし、このジャンクに対する

情報にかぎらず、それに、まつわる人生論なども沢山いただき、とても勇気付けられたことも、何度もありま

した。だからここまで続けられたと言うのは事実です。

 当方は、あと数年勤めたら定年ですが、先に定年を迎えられた先輩の方々からも、多くの励ましをいただ

きました。戦後の日本をここまで築いた大先輩達ですね。本当にありがたいと思っています。

 そこで、当方がいただいた励ましのメールの中に、当方だけが読むには「もったいない」 感銘を受けたメ

ールについて、ご了解をいただいたうえで、ここにUPさせていただきました。ありがとうございます。

 HPのタイトルは、ちょっと幅を広くして「お便りコーナー」にしますので、ジャンクにまつわるちょっとした話。

ほのぼのした良いお話、エピソードなどなど、「ジャンク」に少し絡めば結構ですので、皆さんもドンドンメール

ください。掲示板ではないので単発のお話でも結構ですし、連載ものでも結構です。自慢話でも結構ですので、

よろしくお願いします。   By Dyna   メール  

                                   例 : 「ジャンクが教えてくれた、心の喜び」

 

 

 

 

 

 

 

 


NO.003 H24.06.02 秋葉の杜(HN)さんからのお便りです。

 

 

 

 

Dynaさん

先日秋葉原界隈について教えていただきました

静岡県の高校生・秋葉の杜(HN)です。

Dynaさんのおかげで楽しい旅行が出来ました。

その時の一日の流れと最近のパソコン・ジャンク

市場についての感想を拙劣なる文章ですがお送

りしたいと思います。




3月某日。私は自宅のある浜松の駅前で金券ショ

ップを物色していました。

そんななか私の目に止まったのは「東京行き格安

夜行バス¥3,150」というものでした。

今年はお年玉を貰ってもあまり使っていなかったため、

帰りのハイウェイバスの切符と共に¥6,000ほどで

購入しました。



上京当日。私は父子家庭であるため父親が朝食が

わりでおにぎりを握ってくれました。

それを持って近くのJRの駅へ。

JRには「間合い運用」というものがあり、特急型の

車両が普通電車に充当されることがあります。

ちょうどその間合い運用に当たることができし

ばらくリッチな旅を楽しみました。



浜松駅到着後寒い中バスに乗り込み

一路東京へと向かいました。

初めての夜行バスということで

なかなか寝付けませんでしたが

「秋葉原に行ける!」と思うと寝られませんでした(笑)



東京駅八重洲口についたのは朝の5時30分。

あまりにも早く着きすぎて呆然としてしまいました。

ですがそんな朝早くから秋葉原は動いていません。

そんなときには東京だからこそ使える「遠回り乗車」を

してきました!
 

普通乗車券を買い込みいざ山手線へ。

ぐるりと一周して上野駅。そこから常磐線に乗り

北へ向かい、そこから南に向かって千葉方面。

東京駅を避けて秋葉原駅へ向かいました。



遠回り乗車をするときには「一筆書き」を守らなければなりません。

そのためこれを計画するときには非常に苦労しました(汗

とある資格の勉強の一環でしたがやはり難しいものです。



さんざん鉄道の旅を楽しんだ後は秋葉原です。

まず驚いたのはその広さでした。

浜松の数十倍じゃないか!と言えるぐらい広く

どこに何があるのかサッパリわかりませんでした。

Dynaさんのお手製の地図を頼りにあっちにいったり

こっちにいったりとバタバタしてしまいました。



いくつかのお店を見て回りましたがやはり

価格と品揃えは文句なしです。

いくつか買いたいなと思ったパソコンもありましたが

当時自宅には無計画に買ったジャンクパソコンだらけで

そろそろ父親に怒られてしまいそうだったため

泣く泣く買わずに引き下がってしまいました。

それでも電源タップをお安く買うことができましたし

なによりあの雰囲気がとても心地よく

居心地が良かったことは間違いありません。



最近はアニメとかAKBとかもあるみたいですが

やはり秋葉原は「電気街」として頑張ってもらいたいものです。

その後、東京駅八重洲口からハイウェイバスに乗り込み

浜松へ帰着しました。



ここからは私が思う今のパソコン市場について述べたいと思います。

私が最近思うに新品パソコンもジャンクパソコンも

変わらなくなってきたことが一番悲しく思えます。



私の家はとてもではありませんがパソコンなど

ろくに買えるような家ではありませんでした。

ですから画面が割れても、筐体が破損しても

だましだまし使っていました。



ですがジャンクパソコンはそれを変えてくれました。

少しの知識と少しのお金で大きな夢を買うことが出来た。

その思いがとても嬉しかったのです。



最近はジャンクパソコンも新品と変わらないぐらいの

値段設定になりつつあります。

否、新品が値崩れしてしまったのですね。

そう思うとなんだか得も言われぬ感覚に襲われます。

工夫次第で楽しむことができることを私たちの世代は

あまり知らずに育ってきてしまったのかなと思います。



なんでも買えばいい。そういう発想が私たちの世代の

キーワードになるのでしょう。

ですが私は何かを作ることでその過程を楽しむ

という物事の本質的な楽しさを知ってもらいたいな

と思います。



小さい時からいろいろなものを自作してきた私にとって

その経験はすごく役に立っています。

最近ではマニアックなのですがバスの運転席を

再現しようと自作に取り組んでいます。



つまるところ、なければ作ればいいという発想を

私たちの世代が持たなければならないと思っています。

これはモノづくりだけではなく社会制度一般に

共通することだと思います。



だからDynaさんのような先人の知恵をいつまでも

残していただきたく思います。

長くなってしまいましたが、10年目に突入した

貴サイトに敬意を込めつつ終りにしたいと思います。

「水無月の 雨音聞けり 作業場に ジャンパソ達と 戯れつ」

 

 


 

→お便りありがとうございました。

高校生さんの登場ですね。うれしく思います。

下のYankさんのお便りにも書かれていたような、青春真っ只中の秋葉旅行

ですね。楽しかったことでしょう。良かったですね。



しかも、お父さんがおにぎりを作ってくれて、送り出してくれたのですか。

きっと、おとうさんも「楽しんで来いよ!」と言ってくれたと思います。

今、当方も人の親になって、子供がやりたいことに夢中になる姿を見ることが、

ほんとうにうれしく感じます。

 

>まず驚いたのはその広さでした。

たしかに、秋葉原は広くなりました。当方が青春時代を過ごしたころの秋葉

原は、京浜東北や山手線をくぐることは、あまりありませんでした。中央通り

から離れることはあまりなく、総武線ガード下の部品街とラジオデパート、そ

して今建築工事中のラジオ会館くらいを行ったり来たりした程度です。



今、当方の行動範囲は、北はジャンク通り(当方はDOS/V通りと呼んでい

ます。)の北端、末広町からスタートしています。南はラジオガーデン(中央

線のガード下、万世の向かい)あたりまで行くことがあります。東はヨドバシ

が出来たため、確認のためそこまでかならず巡回し、西は神田明神下手前

まで行きますので、歩く距離は当時の4〜5倍になると思います。当方は、

毎週この距離を歩いて巡回していますので、家内は当方のスポーツと考え

ているようです。



>小さい時からいろいろなものを自作してきた私

そうですか、いろいろものを作ることが好きなのですね。ものを作れることが

絶対に重要とは限りませんが、少なからず想像力は増大し、夢も広がります。

お金では解決できない世界でも、実力で突破できる可能性が身につきます。

頑張ってください。
 



>新品パソコンもジャンクパソコンも

>変わらなくなってきたことが一番悲しく思えます。

新品パソコンの値崩れにより、ジャンクパソコンの位置づけが微妙になりま

したが、それでも当方は新品パソコンに興味がわきません。

こなってくると、お金の問題ではなくなってきており、物を直してでも使う、

物をとことん使い切る。などのこだわりばかりになってしまいました。

ただ、その考え方は当方らのような年代の考え方です。



若いに皆さんは、それよりも、もっともっと、効率を追及し、短時間でものごと

を判断し、必要最小限で必要な機能を追及するよう心がけてください。

世界のスピードは加速度的に速くなっています。

必要以上の機能を求めるのではなく、必要な機能を早く、安く提供する必要

があるのです。



当方のHPはお安いパソコンを効率的に入手する術を公開しているだけでは

ありません。もうひとつ、皆さんに理解してほしいのは、インターネットや関連

するシステムの重要性です。情報収集や情報発信の重要性、これらが理解

できている国は発展し、遅れを取った国は、時代から取り残されています。



 しかし、このシステムはまだ出来たばかりです。なので、まだまだ発展します

ので、是非、若い皆さんは、無限の可能性にチャレンジしてください。

この世界には間違いなく「お宝」が潜んでいますので。健闘を祈ります。
 

                   お便りありがとうございました。  Dyna
 


 

NO.002 H24.05.27 Yankさんからのお便り 2、続編です。
 

Dynaさん、Yankです。


 こんばんは。古いメールが見つかりました。

それは、2005年4月23日に、先に退職した、

先輩や元同僚の複数名に、同時に送ったメ

ールです。 

 メールの内容は、「今から7年余り前、出張の帰りに秋葉原へ寄り、そこ

でみた光景が、1970年頃の夏に、秋葉原へ高速バスに乗って、部品や

ジャンクの買い出しに行った、学生時代のことが重ねて思い出された。」

と言うお話です。




--- On Sat, 2005/4/23, Yank

皆様、ご無沙汰しています。昨日、出張の用件が予定より早く終わり、帰り

の新幹線まで、時間があったので、閉店間際の秋葉原に久しぶりに行って

きました。 自作パソコン関係の店は結構、様変わりしていて、店が閉じられ

ていたりし、並んでいる商品も種類が減っている感じでした。



◆ 郊外のコジマやヤマダに押されたのか、家電関係の店が廃れ、パソコン

関係の店が一時多かったのに、今度は妖しいアニメオタクの店が雨後の竹

の子のような状況でした。白いドレスに白いレースのストッキング姿をしたア

ニメの主人公のようなお嬢さんが、厚い付けまつげで、何人も闊歩している

様は異様にも感じました。



◆信越電機だった秋月電子は相変わらず、マニアで溢れていましたが、何と

なく、Oさんに似た人がいて、思わず声を掛けそうになりましたが、人違いでし

た。買い物客に、結構、昭和20年代生まれ風の人が若い人に混じっていて、

居並ぶ人たちを見ていると、昔の自分を思い出してしまいました。



◆ 昔とは、貧乏学生のころです。親が借金を抱えて、大して高くない授業料

さえ払ってもらうには気が引け、家庭教師を3つやり、長期休みは電器店で

バイトをしていました。僅かに残るお金で、秋葉原へ行って、部品やジャンク

を買いたくても、そんな余裕はありませんでした。でも、ローカル局のOMさん

たちに頼まれ、部品を代行で買ってくる役を引き受け、交通費を分担して出し

てもらい、東名バスで秋葉原行くことができました。



◆食事代も部品を買う方に回したくて、おにぎりをお袋に作ってもらって、水筒

にお茶を詰め、それで、秋葉原を歩き回りました。買った部品でリュックが重

くなって、汗でべたべたになっても、コインロッカーに入れるのは我慢しました。

そのお金で、ICが買えるかと思うと、もったいなくて、入れられませんでした。

水筒が空になると、ラジオデパートの2階のトイレで水を飲み、水筒にも詰め

まし た。背中の重さと歩き疲れて、ヘトヘトになった頃、バスに乗って帰って

きましたが、眠ってしまい、気が付くと、浜名湖サービスエリアでした。外に出

ると、 美味しそうな、うなぎの蒲焼の匂いが漂っていましたが、水を飲んで空

腹を癒し、我慢したのが懐かしく思い出されます。



◆その当時に比べれば、今は金銭的には楽になりましたが、時間的にはとて

も苦しい毎日です。金と暇はやはり反比例です。秋月で、ジャラジャラと小銭

で払う、若い学生さんの後ろで、萬札を出して、勘定を待つおじさんの姿を見

て、ハッとしました。まるで、昔の自分と、今の自分2人を同時に見ているよう

でした。



◆ あれから35年、月日が走馬灯のように駆け巡りました。帰りの、のぞみ159

号の中で、売れ残っていた一番高かった弁当とビールで空腹を満たす自分と、

何も食べられずに、サービスエリアで、水だけを飲んで空腹をしのいだ自分を

比べて、あの頃に送金ができたなら、と思った次第です。でも、今思うと、お金

は無くても、あの頃はとても幸せだった気がします。新幹線に乗ったり、うなぎ

を食べたりできませんでしたが、不幸だなんて思うどころか、買い集めた部品

で作れるもので頭は幸せ一杯でした。お袋のおにぎりの旨かったことは、最近、

ちょくちょく行ける様になった高級料亭の味よりも良かった気すらします。息子

のためにと、朝早く起きて作ってくれた愛情が、そこにはこもっていたと今にな

って思います。

 そのお袋も、老いて歩くことすら困難になりつつあり、もっと早い内に親孝行

をすべきだったと反省しています。お金は無くても、あの頃は夢があり、希望

に溢れた毎日でした。自分の全知全能を傾けられるだけの対象と熱意があっ

たことは今思うと、とても幸せなことだったと思います。
 

Yank

 

→第2便ありがとうございました。

 「お金が無いと、頭を使う。」当方もそう思います。今の若い方にはお金を使っ

て解決することが当たり前という習慣があって、悲しいものがあります。

 当方は今でもコインロッカーは極力使いません。田舎から上京して来た時など、

どうしても使う場合は、一番お安い¥200のがある場所まで歩きます。また、ス

リムPCを買った時は、重くても持って歩いて帰ります。昨年は2台持って帰った

こともあります。ただ、タクシー代やバス代がもったいないだけですが・・・・。
 


 当方の子供もそうですが、物を作るという行為をしません。物はすべて買うも

のなのです。だから、喜びを何から見つけるのか、趣味や仕事で見つけられれ

ば良いのですが、出来ないと寂しい人生になると思い心配です。


 家内や下の子はお高い料理を洒落たレストランで頂くと感激しているので、

それなりに幸せ感を持っているので安心したのですが、価値観の違いには驚

くばかりです。



 当方は、美味しいレストランやホテルでの食事は、それなりに感動はします。

しかし、その対価は高価であり、ひとつの文化としては認めますが、決して心は

満たされることはありません。

 それよりも、若い頃受験勉強していた夜中に、腹が減って台所に行き、夕飯

にとお袋が沢山用意してくれた、そうめんで作ったうどんの残りが、極楽の味で

した。のびたうどんでも、寝る前はほど良く、お袋も暗黙の了解でした。ほんとう

に旨かったです。



 毎回、帰省するたびに双方の親が、食べきれない量のご馳走と、大好きなビ

ールを沢山用意してくれます。でも本当に食べたいものは、ささやかな料理をわ

ずかな量で良いのです。でもお袋の頭の中では、私の好きな物が沢山出てきて、

それを一気に出してしまうのですね。滞在期間が短いからですが・・・。そのため、

毎回ほとんど残してしまいます。食べ切れなくて。



 当方のお袋は、私が小さい頃よりジャンク好きであることを知っています。本

音ではやめてほしかったようです。家の中にゴミに近いものが溜まりますので。

しかし、日々何かを作っていた、創造していた当方を自由にさせてくれました。

もちろん、農家ですからお金にゆとりなどあるはずはありません。だから、お金

がない世界で、どのように創造するかを見守っていてくれました。


 でも決して子供にお金で不自由させなかったのは立派です。当方もお金で親に

迷惑をかけたくなく、一生懸命頭を使って考えました。そのおかげで、この世界で

楽しい生活を送れたと、今では思っています。


 ただ、親父はまじめ一辺倒で、趣味はなく一年中農業をしていました。確かにお

金に苦労はしませんでしたが、時間だけはどうにもなりませんでしたね。親父は一

年中田んぼと畑で働いていましたから、当然、当方も、土日は田んぼや畑に駆り

出され、当方は反感のかたまりとなっていたのです。なぜなら、電気いじりできる

唯一の時でしたから。そのため、当方はじっと我慢する根性はこの時出来た気が

します。



 そんな田舎が嫌で東京へ飛び出し、大学生活は毎日が極楽だったのを覚えて

います。なぜなら一日24時間自由だったからです。無限大の自由時間を手にし

たと思いました。懐かしい頃です。



 今でも、新品に幸せはあまり感じません。生活に必要な物は新品で揃えますが、

パソコンの世界だけは、ジャンクでないと幸せを感じなくなってしまいました。今で

は、お金があってもそうです。新品のお店に行っても、楽しくないのです。ちょっと

歪な状態かも。



 好きなことに全身全霊をかけられるのは、素晴らしいことですね。私は私生活

においても、仕事においても、結構全力になります。そしてお金をかけないで、

何ごとにも取り組もうとします。そのため部下から反感を買われますが・・・・・・・。

 


 お便りありがとうございました。お母様のご様子は、当方の母と同じ位でしょうか。

多分あまり出来ないかと思いますが、お世話してあげてください。「孝行したい時に

親は無し」ですから。


 でも、子供が好きなことをやって、目を輝かせているのを、遠くから見ているのが、

親として一番の幸せです。今、人の親となって理解しました。それは、やはり子供

が自分の好きなことを見つけ、それに向かって突っ走っている姿を見ることです。

当方は、下の子が自分の未来を見失い、路頭に迷った経験をしましたので、本音

でそう感じます。ご自分が、好きなことをして、好きな人生をおくることができ、少し

でも世のためになっていれば、親は十分幸せだと思います。


 ありがとうございました。
  Dyna

 


NO.001 H24.05.15 Yankさんからのお便りです。

Yankさんから 「G4を復活させる 」のレポートを頂いた後のメールです。

 

Dynaさん

 早速の編集と格好良い体裁をしていた

だき、ありがとうございます。改めて、読

み返すと、少々、専門的な言い回しをし

過ぎたかなと思うところがありますが、このままで行きましょう。私は、

会社の中で電源設計部門に籍を置いていたこともあり、やや、 アマチ

ュアには耳慣れない言葉を使ってしまったようです。



実は、私は最近、家電メーカーを定年で退職し、暇な身になりました。

海外企業からの誘いは幾つかありましたが、全て断り、家でぶらぶら

しています。特許で得た報奨金を個人年金にしておいたお蔭で、国の

年金では足りないところを少しはカバーしてくれています。後述します

が、十分ではありませんが、これでも、学生時代に比べれば、ずっと

金銭的には余裕です。それで、暇に任せていろいろな機器の修理や

通訳・翻訳のボランティアをしたりしています。



以下に余計なことを書きますが、私のような読者がDynaさんのホーム

ページには、沢山おられるような気もします。



学生時代に、親が、事業に失敗して、私は貧乏学生の極にいましたが

お金が無くても、楽しく生きる方法を見つけてしまいました。それは

ジャンクの活用です。アマチュア無線の設備が買えず、廃品のテレビ

やラジオから外した部品と先輩から借りたり、貰った特殊部品で、自作

しました。土地には余裕のある田舎であったので、アンテナは結構



良い物が立てられ、海外とも通信できました。お蔭で、幾つかの外国語

の必要性に迫られ、NHKのラジオ講座で、一応、英、独、仏、露、西語を

並行して聞いて、空腹を我慢していました。空腹で勉強すると、血液が

胃に行かず、頭に集中するようで、自分でも不思議なくらい、外国語を

覚えることができました。無線で即、実用にしたせいもありますが、

それぞれをある程度話せるようになり、お金はなくても、楽しさと

喜びが一杯あり
、貧乏が苦になりませんでした。また、後年、これが

仕事の側面でとても役立ちました。



就職後、職場には海外の工場や拠点から国際電話がよくかかってきました

が、「誰か、代わって。」と逃げ腰の上司や先輩に代わり、私が受話器

を取って以来、周囲から不思議がられました。

「どうして、国際電話が怖くないの?」という周囲からの質問に、

「無線よりは、ずっと聞き易いですから。」という私の答えに、納得した

のは、一部のアマチュア無線経験者だけでした。



会社では、設計や製造技術部門にいましたが、海外工場に送り込まれたり、

海外のエンジニアのトレーナーをやったり、ある時期は、海外のOEMメーカー

との技術窓口に私は立たされたりのサラリーマン生活でした。自分の能力

では、対処しきれない苦しさのなかでも、ギブアップできず、かなり無理

をした時期もあって、体はがたがたです。若い頃に、十分な食事ができ

なかったせいもあり、医者から、カルシウム不足が骨格形成に問題を残して

いるという指摘を受けたこともあります。プレシャーも強く、血圧上昇

から、眼底出血をし、片目は視力を殆ど失ってしまいました。



でも、死なない程度に生きてはおり、今でも、ジャンクを触っています。

本社が東京にあって、東京勤務をしていた頃には、秋葉原にもよく行きま

した。学生時代にも、秋葉原によく行っていました。お金が無いのに行けた

理由は、ローカル局のOMさんたちに頼まれた部品やジャンクを買ってくる

という代行役をしたからです。往復の高速バス代を皆さんが分担して出して

くれたからですが、これについては、一つのエピソードもあり、もし、Dyna

さんにご興味があれば、別途、紹介させていただきます。



余計なことを書きましたが、Dynaさんの書かれたいろいろなことを拝見して

いると、私と類似な興味を持たれているところを以前から感じていました。

私はもう、まともには働けない体力しかありませんが、仕事で経験した電子

関係の古い技術や、外国語を幾つかは分かるので、ボランティアとして、

活用できる内はそうしたいと思っています。秋葉原ジャンクパラダイスにも

また何か、投稿させていただければ、と思っています。


では、失礼します。

Yank

 

→お便りありがとうございました。メールを読ませていただき、ご苦労された

環境がご自身のスキルアップになった箇所に、大変感銘を受けました。

何一つ不自由のない環境を、親は一生懸命整えてあげても、意外に子供に

は伝わりません。逆に、子供には背中だけ見せてあまり良い環境を与えない

方が良かったかもと思っています。(もう手遅れですが・・・。)

 あと、退職されても、海外のメーカーには行かず、国内に残ってボランティア

活動に励むお話も好感を受けました。高い技術を持たれているエンジニアは

海外でひっぱりダコではないでしょうか。でも、行ってしまうと技術が海外に流

れノウハウが吸い取られると、退職させられるとも聞きました。定年後の生き

がいについて、大変考えさせられました。ありがとうございます。

 往復の高速バスをお仲間に負担していただいて、秋葉に買い物に行ったお

話楽しみにしています。当方も中学校の時、同じようにして、電気仲間を秋葉

原に送り込んだ経験があるので、ワクワクして待ちたいと思います。

                                  By Dyna
 


 ども、Dynaです。

 その昔、良く見たTV放送に「プロジェクトX」なる番組がありました。我が国が高度経済成長華やかりし頃

のエンジニアの話題が多かったと思います。好きだったので毎回見ていましたが、やがて過去形のお話に

抵抗が出てきてしまい、「これではいかん!」と思ったのです。

 そうなんですね。過去の栄光に酔いしれているうちに、抜かれてしまうのです。そうなったら技術立国は終

わりです。だから、過去に酔いしれていてはいけません。前進あるのみです。冒険心を失くしたら、成長はあ

りません。

 是非、先人のノウハウを吸収して、次世代を切り開いてほしいと思います。

                                                By Dyna  メール  

 

 

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